インド国内線の緊急脱出
長年インドを訪問して、最大の出来事は飛行機の緊急脱出でした。当時、インドの航空会社は国内線のインディアンエアーと国際線のエアーインディアのみ。共にサービスはお世辞にもグッドとは言えなかった時代です。
場所はカルカッタ(今のコルカタ)空港。マドラス(今のチェンナイ)行きの国内線での出来事です。その時の日記をご紹介します。
1991.4.27
午前4時20分に起床。マドラス行きの飛行機に乗る為にはホテルを5時半に出なければならない。
朝のカルカッタはとてもさわやかだ。途中相変わらずバラック(とてもバラックとは言えないが)の一群があり、車の中迄匂いが伝わって来る。
空港で全盲の兄を連れた弟が金をせびりに来たが、ぐっと我慢する。
飛行機は予定通り滑走路を動き出したが、離陸直前で急ブレーキがかかり、前の席からバタバタとドミノ倒しのように椅子が倒れて来る。
直ぐアナウンスがあり、急いで外に出る様スチュワーデスの指示あり。全員急いで後方出口に集中。子供連れの親子は動けずかわいそうなものだ。
出口にはシュータが降り、すべり台の様に滑走路に降りる。そして、急いで飛行機から離れる。その直後救急車と消防車が近ずいて来た。消防車は水を満杯に積んで、こぼしながら走って来る。ジェット機に水、そのアンバランスに驚くと共に笑いが出て来る。
中には手荷物を飛行機に残したまま出て来た人多数あり。命には変えられないのだ。本当に恐ろしい出来事だ。
離陸前には飛行機のクーラーもきかず蒸し暑く、止まる時に何かクサイ匂いがしていた。一説にはけむりを見たとの人もいるようだ。今思えば、パイロットの瞬時の判断は正しかったと思う。もしそのまま飛んでいたらと思うとぞっとする。
驚いたのは、パイロットは片方の靴を履かずに走って逃げ、スチュワーデスも同じく疾走。これぞインドの航空会社の危機管理なのだろう。
滑走路で多少落ち着いたので、我々の仲間で飛行機をバックに現場の写真を撮っていたところ、突然係官が来てカメラを取り上げられる。最終的にはターミナルに帰った時点でフィルムを全部抜かれる。いずれにしろ撮った人間が悪い。
前夜の夕食の時茶柱が立ったので明日はラッキーとJと話していたが、状況は全く正反対の様だ。
ロビーで待っていたところ、10時25分に出発出来る旨のアナウンスあり。意外と早かった。急いで飛行機から降りたせいか、Mのバッグは壊れるし、何とAはシューターで降りる際パンツが破れたとのこと。航空会社に求償をしてもらえと言って互いに笑う。再び遅れのアナウンスがあり、結果的に6時間の遅れの出発となる。全くインドにはあきれてしまう。
この時、仕事で6名の仲間が一緒に日本から来て、昨日と本日の2班に分かれてマドラスに移動する予定で、私は昨日便。
かなり厳しい交渉で60超えの技術者が一人相当疲れていたが、彼のチケットは本日の便。だから、彼を先にマドラスに行かせる為、昨日便の私のチケットを彼に手渡し1日早い便で移動してもらい、私は彼のチケットで本日移動することとした。
同じ日本人だから区別がつかないはずと安易に思っていたが、もし航空事故があったら、日本のTVでは彼の名前が搭乗者として出て、その後私の名前に訂正となる。でも、私は別名で乗ったから補償は出ない。運命のいたずらかも。
