インド出張での想い出(1990~)-52(米国編)-④

1999.3.14

朝5時に起床。6時過ぎから近くを散歩。昨日と違って青空が見えて来た。でも、直ぐ又黒い雲が一面を覆い暗くなるといった状況。自宅、実家、弟の家に電話する。親父の入院は持病の肺ではなく、心筋梗塞とのこと。この場合、最初の2~3時間が勝負で、これを通り過ぎると、次の2~3日が山場とのこと。最初は既にクリアーしたので、次の2~3日を無事超えて欲しい。意識はあるとのことにてひとまず安心。

女房より、俺が帰るまでは大丈夫とSさんが言っていたとのこと。直ぐに帰る必要があるのに仕事のことを優先している自分に何か割り切れないものを感じる。本社、米国のエージェントであるT氏よりも何度か電話あり。こちらはそれどころじゃないのに。

1999.3.15

早朝自宅と弟に電話したところ、あまり状況よくなしとのこと。お袋も数時間の睡眠で看病しているとのことにて気にかかる。祖母もかかる状況にも拘わらずわがままを言っているとのこと。一時的に親戚に預けるべく親戚のIさんも動いてくれたるも、どこも断って来たとの悲しい状況。弟も電話口で相当に怒っていた。兄貴に電話したところ、昨日迄は回復基調であり、状況の変化に驚いていた。何れにしろ、もっとはっきりとした状況が知りたいので確認して欲しき旨頼む。

兄貴がRadissonホテルに電話したところ、宿泊客に俺はいないと言われたとのこと。全く頭に来てしまう。アメリカのホテルに限らないが、係る対応は許せない。自宅に電話したところ、小生の部屋番号が異なっていたこと判明。つい怒り基調で女房に言ってしまった。ごめん。

1999.3.16

再びバトンルージュに戻って客先と打ち合わせ。本日の仕事はうまく運ぶ。きっと親父が守っていてくれたものと確信する。ニューオーリンズに帰る途中、Walk Alleyに立ちより昼食。ガンボーをカップではなくボールで注文。量はあるが、ゆっくり味わうにはボールがよさそうだ。

ホテルに戻ると本社より電話。既に親父のことは知らせているが、会話が何かビジネスライクな感じで思いやりが全く感じられない。本日米国ではダウジョーンズが史上初めて1万ドルを超えた。一方、イリノイ州でアムトラックの列車事故があり相当な死傷者が出たとのニュース。

明日やっと帰れる。夕刻、うまいものでも食べに行こうとダウンタウンに行くも、途中道を間違え結局ホテル近くの中華レストランで夕食。途中少々危なさそうな黒人街に侵入しひゃっとした。中華は頼み過ぎて相当残してしまった。レストランの女主人は残りを持って帰るものと思ったのか、空の容器を持って来た。本当に申し訳無い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です