インド出張での想い出(1990~)-54(米国編)-③
1999.4.15
ホテルを7時にチェックアウトしワシントンダラス空港へ。9時発のNewark行きは40人前後乗りの小型機なるも、何と搭乗者は4人のみ。多分にワシントンからニューヨーク迄は車で移動する人が多いのであろう。着陸時マンハッタンのビル街がきれいに見えた。遠くてはっきりとは見えないが自由の女神も見れた。ワシントンでのチェックインの際、夕方のヒューストン行きの分もチェックイン出来、荷物もそのままヒューストン迄アレンジしてくれた。お陰で客先との打ち合わせに荷物を持って行く必要無く有難し。これも両便ともコンチネンタルであるお陰か。
客先との打ち合わせ後再びNewarkに戻りヒューストン行きのゲートへ。予定の便より1.5時間ほど早い便に席があったが、カウンターの女性は既にチェックインの荷物を早めの便に移し変えることは保証の限りではないとの説明。仕方無く、荷物の無いWさんのみ早めの便でヒューストンへ。我々の便は、夕方6時前後に相当数の出発便が集中しているのか、結局ゲートを閉めて1時間後に離陸。離陸待ちの飛行機が我々の前にかなり見える。3.5時間後ヒューストン着。乗り継ぎの乗客は顔色を変え移動していた。中には予定の便に乗れなかった人もいたことだろう。タクシーにてアダムスマークホテルへ。
1999.4.16
早朝5時に目がさめる。風呂に入りながら下着の洗濯。自宅に電話したところ、親父の具合が徐々によくなり、初めて口からプリンを一口食べたとのこと。うまかったに違いない。これから、流動食の訓練をするとのこと。あせらず頑張って欲しい。
現地店のWさんの運転で客先へ。打ち合わせ後いつものSeafoodレストランで客先の連中と昼食。帰りも約3時間もドライブ。全く変わらない景色についうとうと。ホテルに戻りベッドに横になるとそのままぐっすり。夕刻7時過ぎに上司より、眠たく、且つ疲れているので食事には行けないとの連絡。当方も眠たいのでそのまま食事もせずバタンキュー。そう言えば、数日前の新聞に、何と宝くじで1.95億ドルを当てたおばちゃんが載っていた。羨ましい限り。
