インド出張での想い出(1990~)-52(米国編)-⑤

1999.3.17~3.18

ホテルを早朝5時にチェックアウトし先ずレンタカー会社に行き車を返し、その足でチェックインカウンターへ。今回はよくレンタカーを利用した。唯一のドライバーK君は土地感がすぐれており、心配無く行動出来た。ありがとう。

サンフランシスコ行きUA1233便は定刻に出発し約4時間10分程で到着。途中ネバダに砂漠地帯及びロッキーであろうか素晴らしい景色を堪能した。親父に是非見せてやりたい。サンフランシスコ到着後  SQのラウンジに行きK君と休憩。彼は成田へ、小生は関西空港経由福岡へ。今回彼もよくやった。元々米国で子供の頃生活していたので英語はお手の物。何れ親会社に帰るが、出来る丈長く当社にいて欲しいものだ。彼は明日休暇を取り自分の部屋の引越し作業。その翌日中東への出張。これまた忙しいスケジュールだ。

サンフランシスコ空港内で土産を購入。UA809便は約30分程遅れてサンフランシスコ空港を出発。ビジネスクラスは空席が目立つ。隣りの米国人は空いている席に移ればいいのにと期待するも結局最後迄移らず。残念。約12時間程で関西空港到着。

自宅に電話すると、親父も多少反応が出て、且つ熱も下がって来たとの嬉しい情報。約3時間関西空港で福岡行きの全日空便を待つ。約1時間後の21:40福岡着。卒業を終えた学生達であろうか、海外旅行帰りの学生が多く目立つ。直ぐに地下鉄にて姪浜下車、その後タクシーにて西福岡病院へ。病院に着くも、入り口は閉まり管理人も不在。30分程待つも、誰も応答無し。仕方なく、近くの公衆電話迄荷物を抱え移動。弟に電話し、病室にいるお袋に電話してもらいやっと入れる。多くのチューブを鼻に入れられ、親父が寝ている。意識も多少回復して来たので、明日から期待が持てるものと期待。今回の出張は、全く病気に始まり、病気に終わった出張であった。まさか自分の身内に生じようとは予想もしていなかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です