インド出張での想い出(1990~)-79-②

2002.2.21

朝方Kさんの紹介でタピオカ関連の会社を訪問。父親と息子2名で運営している会社で、直ぐ横が騒がしい道なので会話も途中聞こえないことが多かった。本日は電気も止まっていると申し訳なさそうに言っていた。その後彼らの梱包工場を訪問。気温は34度前後ありそうだ。外に出ると結構暑い。ホテルに戻りP氏と再会し彼の事務所へ。営業権の契約を済ませ、先ずは目出度し、目出度し。16時の列車に間に合う様に駅に向かう。

プラットホームは刺す様な暑さ。大勢の客が日差しを避けて木陰に集中している。列車はほぼ定刻に出発し5時間後にチェンナイ到着。途中、後ろの55歳の中年男性が連れの若い連中に間断無く話しをしていた。よくあれだけしゃべれるなとあきれてしまう。聞きもしないのに自分は55歳だと会話の中に聞こえて来る。実にうるさいじじいだ。他の客のことも考えて欲しい。走っている途中、売り子が頻繁に物を売りに来る。水、コーヒー、紅茶、トマトスープ、その他軽食たくさん。

本日は前の会社のF君らのミッションが来ているのでKさんの車は手配出来ない。到着後周りを見ると、リキシャの呼び込み等色々な人間が寄って来る。タクシーを捜しに乗り場に向かうと、しつこく例のリキシャ運転手が付いて来る。タクシーの運ちゃんと価格交渉開始。ホテルチャージでいいよと言うが何がホテルチャージなのか不明。いくらかはっきり言えと言うと、250ルピーと来た。100ならいいよと言うと渋い顔。結局200で交渉成立。ホテルに近づくにつれ、あのホテルは予約済みか、もっと安いホテルがあるから紹介する…….とうるさくてしょうがない。降りる寸前も、250ルピーが定価なのでお願いします風の口上を述べて来た。無視して200ルピーを渡しホテルにチェックイン。

2002.2.22

朝方より小麦粉の会社を訪問。チェンナイの郊外にあり車で1.5時間ほどかかる。途中、韓国Hyundai自動車の大きな工場があった。かなりの投資であろう、並の工場じゃない。その近くに関連の、これも大きなガラス工場があった。工場を訪問した帰り道、ラジブガンジーの記念碑に立ち寄る。

1991年5月21日、選挙遊説の為この地を訪問した際、過激派の女性が胴体に爆弾を巻きつけた状態でラジブに近寄り自爆した事件。既に10年が経ったことになる。自爆の場所には記念の塔が立っており、人が近づけない様になっている。体はばらばらになったので、唯一着ていた着物の残りと靴で本の確認を行ったとのこと。夜はKさんと中華料理ダイナステイーで夕食。彼の上司のことを聞くと、益々険悪となっている様子。聞いていて、インド人と会話したがらないこの日本人上司に腹が立って来る。何れ天罰が来るからと彼を慰めるしか手無し。腹が少々きつくなって来ており、今夜の食事も余り食べられず。少々自重せねばと痛感。

2002.2.23

朝方D社の車がホテルに向かえに来てくれ事務所へ。何とベンツで来てくれる。後で聞くと、会長の車を手配してくれたとのこと。お互いの誤解も解け、追加の品物を直ぐ送ってもらうことになる。A氏の頭が坊主頭になっていたので聞くと、お寺の修行か何かやった模様。

ホテルに戻り出発迄時間があるのでホテルで車を借り市内見学。ヒンズー教のお寺、キリストの教会、浜辺に立ち寄る。浜辺にはすごい人。久々に人動メリーゴーランドを見る。売店も相当の数あり、日本の観光地と同じ様にバスが何台も駐車している。ホテルに戻り休憩し空港へ。チェックインの際、ビジネスクラスにアップグレードしてくれる。ラッキー。隣の席は40前後の日本人男性。出発間際で2階席に変わってくれないかとスタッフが来たのでOKと返事し2階へ。ところが、2階席で動きたいと主張していた女性が結局動かず再度元の席へ。ただ券だから当方も文句言えず。食事もせずひたすら寝る。

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