インド出張での想い出(1990~)-73(パキスタン編)-③

2001.1.30

朝のTVでは、国防長官がインドの地震の死者は10万人を超える見込みと発言していたので驚く。Tさんがホテルに来たので、仕事の進め方に関し、当方の気持ちをフランクに話して了解をしてもらった。彼にとっては耳の痛い話であろうが、このまま放置しては何時まで経っても不満が残る状況となる為苦言を呈したが、話ししてよかったと痛感。

早速Kilimの店に行き交渉開始。1枚1枚検査するのも大変だ。でも、明らかに問題のあるものも何枚かあったので、買う前に検査することは重要だと思った。当地でチケットを買った場合の価格を聞きにTさんと旅行会社に行ったところ、係り員の前にはコンピュータがあるが、価格のチェックは古臭いファイルのあちらこちらのページを見ながら手計算でやっており、何ともアンバランスな感じがした。但し、チケットは日本で買った方が安いこと判明。エコノミーがRS56、000(11万円)、ビジネスがRS110,000(22万円)と共に日本のデイスカウントチケット屋よりも高い。夜はTさんの家で夕食。面倒を見てくれるのは有難いが、たまには一人で食事したい気持ちになる。

2001.1.31

いよいよ1月も本日で終わり。2月末迄には何とか店をオープンせねばと痛感。ここCrown PlazaホテルはTさんの好意で安いレートが使えるので助かる。本日Marriotホテルに同氏と行ったが、さすがに市内で一番よいホテルらしく高級風な感じだ。但し、1泊200ドルは高過ぎる。Crownのエレベーターは相変わらず遅くいらいらしながら待つ必要があり、アルコールは全く無し。冷蔵庫の中を見ると、ノンアルコールのビールが一つ入っている。賞味期限は大丈夫の様だが、既に缶の下にさびが付いている。いくらアルコールが欲しいといっても飲む気がしない。既に持参のウイスキーは無くなっており、もっと大きいのを買ってくればよかったと悔やむ。

新聞にはアフガン難民が大勢パキスタン側に流れて、零下20度くらいの極寒の中で凍えている親子の姿の写真があった。ここイスラマバードでは全く係る気配は無いが、直ぐ近くでこの様な事態が発生している国であることを改めて認識した。自宅に電話したところ、友人夫妻が来てくれ、結構話が盛りあがったとの由。又、入院中の親父がインドの地震で小生に何か起きていないか心配していたとのこと。

2001.2.1

よいよ本日イスラマバードを発つ。結構長い一週間であった。インターネットのニュースで、日本で日航機がニアミスを起こし結構けが人が出たとのニュースがあった。再びThreadlinesに行き価格交渉。結局7%の値引きしか出来ず。ホテルに戻り2時間ほど散歩。店で多いのはコンピュータ関連、マネーチェンジ、旅行者の順か。

イスラマバードは面白みの無い町だ。次からは自分で数日は自由にあちこちを見て回りたい。Tさんには大いに感謝しているが、もう少し自由な時間が欲しい。夜8時にTさんと息子がホテルに見送りに来てくれ、長男にはサッカーボール、娘達にはバンドルのセットをもらう。ありがとう。彼らの為にも頑張らねばと思う。8時半にホテルを出て空港へ。途中交通事故が2件。結構荒っぽい運転手が見受けられる。インターネットで弟が開店予定の店の写真を2枚送ってくれていた。少しづつ店らしくなって来た。

空港に着いたら大きなカバンを開けろと言われた。予想外であった。もしシャトーシュのマフラーを持っていたら大変なことになっていた。イスラマバードのデューティフリーを覗くも興味を引くもの無し。PK852便は定刻の22時55分に出発。これはカラチからの便であった。出発間際に賑やかに大声でしゃべり乍ら入って来た若者あり。二人の女性と一人の男性が付き添っていた。直ぐに女性の一人が寄って来て、「精神病の患者なので少々声が大きいのでご迷惑を掛けます」と言って来た。

2001.2.2

5時間後北京着。行きよりは1時間半早い。外はマイナス9度とのことで、食料を積む為前方が開いていることから少々寒い。例の患者は寝ていない時間はずっとしゃべり続けている。相手している人も大変だ。1時間半後成田に向け出発。2時間半で成田着。パキスタン航空は行きも帰りも正に定刻に動くこと認識。又、一人乗っている日本人スチュワーデスは結構気が利いている。着陸前に熱い日本茶を出してくれた。

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