インド出張での想い出(1990~)-74(インドネシア編)

2001.2.9

自宅を朝6時15分に出て成田へ向かう。久々に電車で成田へ。さすがに北千住での乗り換えは相当混雑しているので浅草迄行き上野へ。8時10分のスカイライナーで成田へ。10時55分発のJL725便はほぼ定刻に離陸。席はほぼ満席。ジャカルタ経由デンパサール行きにて、やはりバリ行きの人が多い様だ。JALもエコノミー席の全てに小さなTVモニターを付けており、各自が楽しめる様にしている。でも、取れた窓側の席は少々窮屈。隣りはバリ行きだろうか二人の20代の日本人女性。

7時間15分後ジャカルタ着。気温30度。相変わらず入国審査に時間が掛かる。到着便も重なった様だ。最後に荷物をXレイにかけるが、その際アメリカ人であろうか、小生の荷物を足でよけやがった。直ぐStupid(ばかやろう)と言ったら睨まれてしまった。悪いのは向こうの方だ。現地の知り合いの運転手が迎えに来てくれており、彼の運転する車でプレシデントホテルへ。体が汗でべたっとして来た。やはり南国だ。運転手に依ると、3月迄雨季で頻繁に雨が降るとの由。ホテルに着くとM氏より電話があり、一緒に弁慶で食事。彼の奥さんも3月にジャカルタに来るとの事。少々疲れている様子だ。

2001.2.10

朝からHandokoさんの店に行き商品の選別を行う。昼は彼がインドネシア風の海鮮料理屋へ連れて行ってくれた。魚、海老等結構沢山頼んでくれうまかった。明日迄に最終選定を行い全てを決めよう。スカーフは今一つなるも、明日迄に高級品を用意してくれるとのことで期待しよう。午後ホテルに戻り休憩。

夕刻例のトラジャコーヒーのDさんが電話をくれ打合せ。オーナーが入院したが会いたいとのことで彼の入院する病院に行く。結構大きな病院で、広い個室に入院していた。話を聞くと、観光省のお偉いさんで、ホテルに戻り写真を見せてもらったが、Director Generalとあるから結構上であることは事実。副業にコーヒー農園等をやっているとのこと。インドネシアらしいと言えばらしい。NHKのテレビでは、ハワイのオアフ島沖でアメリカの原子力潜水艦と日本の水産高校の練習船が衝突し練習船が沈没したとのニュースが大きく取り上げられていた。

2001.2.11

朝11時よりHandokoさんの店で商品選別を行う。途中ものすごい雨。熱帯地方独特の雨だ。屋根に叩きつける様に雨が降っていた。商品選別もほぼ終え、ホテルに帰る前にパサラナデパートに寄ってみる。日曜日で客の数もすごい。但し、この国はまだまだ貧しく、店の中の値札を見ても、彼らが買える商品は少ないであろう。ほとんどの客がウインドウショッピングが主であろう。バッティックのコーナーを見たら、なるほど種類は豊富だがまだまだ高い。1m角のスカーフが30ドル前後であり、Handokoさんの店の倍であろう。

本日昼食を浜っ子で取る。本格的な日本料理屋で寿司も結構うまい。夕方Dさんと市内のショッピング、その後ホテルに戻りホテル内で夕食。

2001.2.12

バティックのエプロンを買いに例のボビーテイラーに行く。ジャカルタの郊外にありとても日本人が簡単に行ける場所ではない。又、残念乍ら、100セットのエプロンは無く5セットくらいしかない。仕方無く1週間後に準備してもらい、Handokoさんから来る荷物に入れてもらうこととす。Handokoさんの所に行く前に日本料理屋花子で昼食を取る。客の大半は日本人の奥様族であり、一種彼らの溜まり場になっている模様。彼らが来ると言うことは味も大丈夫の証拠。月見うどん、太巻き、生ビール2杯で11万ルピア(約1500円)と安い。

メニューを見ると、久保田の1升瓶が1,100,000ルピア(約14000円)、山田錦300mlが88、000ルピア(約1100)安い感じがする。Handokoさんの店で全ての手続きを終わりホテルに戻る。6時15分にホテルで旧知のYさんと合流し日本レストランへ。Yさんも3月23日に日本に帰国することになったとの由。職場も決まったとのこと。その後Mさんとカラオケに行く。少々疲れて目がしょぼしょぼして来る。ホテルに戻ると、例のトラジャコーヒーの関係者が待っており、30分程打ち合わせする。

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